大阪市が結んだ”まさか”の協定とは?南海トラフ地震に備える葬儀業界の裏側

2025年9月、大阪市がひっそりと、しかし重要な協定を結んだ。
相手は一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会。中身は「災害時の葬祭業務の協力に関する協定」――簡単に言えば、「大量の死者が出たとき、遺体をどう扱うか」を事前に決めておく取り決めだ。
ニュースとしては地味だ。派手な会見もなく、報道発表資料の中の一本として静かに公開されている。だが、内容を読み込むと、これがいかに現実的で、切実な備えなのかがわかってくる。
大阪市が結んだ、知られざる協定
2025年10月1日、大阪市役所5階の中応接室で、ひとつの締結式が行われた。出席したのは大阪市の危機管理監と、全日本冠婚葬祭互助協会の会長・副会長ら。テーマは「災害時の葬祭業務の協力」。
協定の建て付けはこうだ。大阪市内で災害が発生し、「多数の死者が集中的に発生した場合」――つまり、通常の火葬・葬儀の体制ではとても対応しきれないほどの規模の死者が出た場合、市はこの協会に対して業務の協力を要請できる。そして、その要請の手続きも、あらかじめ様式まで決めておく。
平時であれば、こんな協定は必要ない。だからこそ、これが結ばれたということ自体が、行政側の危機感の表れだと見ていい。
「協力する業務」の中身が生々しい
この協定の面白いところは、抽象的な理念で終わっていない点だ。実際に要請される業務として、次のような項目が明記されている。
- 遺体安置所の確保
- 遺体の安置(一時保存)に必要な備品の調達
- 棺、骨壺、骨箱などの調達
- 遺体の洗浄・縫合・消毒
- 納棺、または火葬に至るまでの運搬
読んでいて、正直ぞっとする人もいるかもしれない。だがこれは、大規模災害の現場で実際に発生する、避けようのない業務ばかりだ。東日本大震災のときも、多くの自治体で火葬場のキャパシティを完全に超え、遺体安置所が足りず、体育館や公民館が急遽その代わりを務めた。棺や骨壺の調達すら追いつかず、現場は混乱を極めた。
大阪市がこの協定で用意しようとしているのは、まさにそうした「想定外」を、あらかじめ想定内に組み込んでおくための仕組みだ。
なぜ今なのか ― 数字が語る大阪の現実
では、なぜ今このタイミングで、こうした協定が結ばれたのか。答えは南海トラフ巨大地震にある。
2013年、大阪府は独自の被害想定を公表している。南海トラフ巨大地震が発生した場合、大阪府内での死者数は最大13万3,891人。これは国(内閣府)が出していた想定の実に13.6倍という数字だった。しかも、そのうち99.3%が津波による死者だという。
大阪湾岸の低地に人口と施設が密集している以上、津波による被害は避けがたい。そして2025年7月、国の中央防災会議はさらに想定を引き上げ、南海トラフ巨大地震による全国の直接死者数を「約17.7万人〜約29.8万人」、災害関連死を「約2.6万人〜約5.2万人」と見直した。
つまり、火葬場や葬儀業界がこれまで前提としてきた「1年間に亡くなる人数」とはケタ違いの死者が、ある日突然、それも短期間に集中して発生する可能性がある。これは大阪だけの話ではないが、津波リスクの高さという点で、大阪はとりわけ「他人事ではない」地域のひとつだ。
火葬場は”平時”の想定でしかできていない
大阪市内には市立斎場が5ヶ所ある。普段の火葬件数をこなすには十分な体制だが、これはあくまで「平時」の話だ。以前の記事でも触れた通り、通常運用ですら時期によって予約が混み合うことがある大阪の斎場に、万単位・十万単位の遺体が押し寄せたとき、対応できる余地はほぼゼロに近い。
火葬場が処理しきれない場合、遺体は一時的に安置し続けるしかない。そのための場所、そのための備品、そのための人手――これらすべてが、平時のインフラの外側で急遽用意されることになる。今回の協定は、その「外側」の部分を、民間の葬祭業界の力を借りて埋めようとする試みだ。
行政だけでは抱えきれない領域を、あらかじめ業界と役割分担しておく。これは決して大げさな話ではなく、むしろ「今さら整備されたのか」というのが、業界内の実感に近いかもしれない。
葬儀業界にとって、これは他人事ではない
この協定は、大阪市と全日本冠婚葬祭互助協会という「組織対組織」の話に見えるかもしれない。しかし実際に現場で棺を用意し、遺体を洗浄し、安置所を運営するのは、地域の葬儀社であり、そこで働く一人ひとりのスタッフだ。
つまり、大阪・関西で葬儀に携わる事業者にとって、この協定は決して遠い話ではない。今後、同様の協定や体制整備が他の自治体にも広がっていく可能性は十分にあるし、災害時対応をどこまで自社の事業計画に組み込んでおくかは、これから問われてくるテーマになるはずだ。
平時の売上や集客の話ばかりに気を取られがちな業界だからこそ、こうした「有事の役割」に目を向けておくことは、地域からの信頼を積み上げるうえでも意味がある。
まとめ
大阪市が結んだこの協定は、ニュースとしての派手さはない。だが、その裏にあるのは、南海トラフ巨大地震という現実的な脅威と、「大量の死者にどう向き合うか」という、行政も業界も本来避けて通れないテーマだ。
死者13万人という数字は、正直、想像するのも難しい。だが想像できないからといって、備えを怠っていい理由にはならない。大阪市が一歩を踏み出したように、葬儀業界の側も、平時の業務の延長線上に「有事」を組み込んでおく視点が、これから確実に必要になってくる。

